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玄海灘を望む海。
まめが、たたずむ白い砂浜には蒼い海から、あの時同じ様に波が打ち寄せています。

(=´▽`=)ノ 皆さんこんにちは。
今回は、戦争遺産のお話に挑戦しようと思ってます。
の手の話題が苦手な方は、読まなくていいですからね。
まめの写真だけ、さらっと見て、楽しんで下さいね。

さてさて、お話の舞台となる場所は、福岡の西部に位置する海辺の町、糸島半島の先にある大入。
縁起良く(おおいり)と読みたい所ですが、大入と書いて(だいにゅう)と読みます。

それでは、時空紀行 特攻艇秘匿基地 大入港の始まり、始まり。

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おじさん。おじさん。(o_ _)ノ彡☆ポムポム
本当に、こんな所に戦争遺産なんてあるの?

まめが言う通り、おじさんもこんな所に戦争遺産が在るとは思えないのですが、
調べものしている時に偶然見つけた大戦中の軍事基地が記載されている地図。
これが今回の紀行の引金となったんですよ。

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地図に記載されている、多くの基地跡は地元の糸島半島周辺と言う事もあり、
おじさんも聞いた事がありますし、何かしらの記念碑が設置されている事も知ってます。
しかし、その中の一つ「牡丹江ドッグ」???

元々、おじさんは大戦時の事を書いた本や当時の手記を読む事は好きなのですが
( ̄‥ ̄a;)ぽりぽり 聞いた事が無いぞ?
ネットで検索をしても、まったくヒットしません。
該当する場所には小さな港がある事は知ってましたが、牡丹江なんて地名じゃ無いし、
ここには何も無かったと思うのですが・・・

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と言う訳で、疑問に思ったら現地に行ってみるの精神で、まめとの散歩のついでに、立ち寄って見ました。
海辺の町の散歩も、たまには良いかな? 程度のノリでやって来てます。
正直、今回はガセネタだうと思ってたのが本心です。

(´-ノo-`)ボソッ...普通うさぎ連れて、こんな所に散歩なんか来ないよ。
って突っ込みは聞こえなかった事にしときます。(笑)

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港は、漁港と言う程の規模でも無く、かと言って、ヨットハーバーの様にお洒落な雰囲気でもなく
正に普通の港です。
この港に繋留されているのは、船と言うよりもボートって感じでした。

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仮に、ここが大戦当時に基地として使われていたとしても、これは何も残って無いね。
だって、普通の港にしか見えないもん。
これが、今回まめと訪れてみた正直な感想です。
港全体をぐるりと見て廻りましたが、軍票もそれらしい石碑もありませんでした。

まぁ、良いか、まめと海辺の写真でも撮って帰ろうかな?と思った時に・・・
まめの後ろに伸びている桟橋から、異様な雰囲気を感じます。
なんだぁ!?この独特の感じは・・・

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この遣れたコンクリートの雰囲気、怪しい。
これは絶対に何かあるぞ。
おじさんの直感が訴えかけて来ます。

周りの造りと明らかに異なるこの独特の造りは・・・
戦争遺産が持っている独特の雰囲気が間違い無く、ここに有ります。

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と言う事で自分の直感を信じて再度、この桟橋の事を中心に地元の人に聞き込みして見ました。

誰ですか!?うさぎ抱いたおじさんが、
聞き込みをする風景は、かなり怪しいとか思っている人は!!
おっしゃる通りですが、やさしい九州人は、こんなおじさんにも答えてくれるんですよ。(笑)

さてさて、聞き込みで分かった事は、
戦争前はこの港は畑だった
港が出来た当時は、放射線状に
今の倍近く桟橋があったを知る事が出来ました。
しかし、教えてくれた人も戦争遺産かどうかはわからないとの事でした。

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衛生写真で見てみると、確かに放射線状に伸びている事が分かりますし、
中央付近の2本は後から手を入れて桟橋として使ってますが端の2本は使われていない事も良くわかります。
特に一番端の桟橋は一部崩壊している事がこの写真で良くわかります。


画面の下半分にはまったく桟橋が無い事を考えると、この部分は取り壊されたと考えるべきで
昔は倍近く桟橋があったと言う証言も信憑性があると思ったおじさんです。

又、普通港は元からある入り江を使って造られるはずなのに、
綺麗な台形で造られている事から、
昔は畑って証言が本当ならここは、畑を掘って人工的に造れられた港って事になります。

(; ̄□ ̄)ゝなぬっ?
軍事施設を明記してある地図に書いてあった「牡丹江ドッグ」って
この港全体の事なのかぁ? 疑問は深まるばかりです。

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この港が本当にドッグなら、なんの為に造られたんだろう。
とても軍艦が入れる様な規模ではありません。
確かに、物凄く怪しい雰囲気の港なんですが、戦争遺産だと言う確証は何一つ出て来ませんでした。
そんな中、独特の雰囲気を出している桟橋を撮影てしていると、声をかけられました。

雰囲気のある桟橋でしょ。この桟橋は戦時中の物なんですよ。
実はここは、
陸軍の特攻艇、通称マルレの秘匿基地だったんですよ。

(゜ロ゜;)....う・・うそ


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教えてくれた方の話に出て来た特攻艇、通称マルレの事を調べて見ました。

秘匿名称マルレは正式名称を四式肉薄攻撃艇。
船首が標的に当たると、船尾の爆雷が落下する仕組みの攻撃艇です。

実戦訓練を受けた方の手記にはこんな事が書いてありました。
「敵艦に体当たりして戻る理屈ですが、果たして投下した爆雷の爆発までに脱出できるやら。
へたすりゃ沈没です」

(´+_+`)ウゥ…それ以前にベニヤ製の船体で体当たりしたら、
その時点でバラバラになると思うのですが・・・
こんな特攻艇が在った事すら知りませんでした。
正に、戦争が生み出した狂気以外のなにものでも無い船です。

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このマルレの事を調べていると、所々に今回訪れた、この大入の事が出て来ます。
例えば、海上挺進隊特設52船隊は福岡県深江町に移住した。
水上特攻艇「マルレ」も同じ列車に積載され、村では
大入の松原に穴を掘って隠した。
こんな感じです。

偶然にも松原のある砂浜でまめの写真を撮ってました。
この地にマルレの秘匿基地があった事は真実の様です。

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又、大入の先の村、二丈福井に住む方の手記には
「船の上げ下げの訓練」「立ったように船が走る」訓練を記憶している。等々。

空爆を恐れ、兵舎等は建てずに、当時は国民学校や講堂等が兵舎の代わりとして使用されたらしく、
その為に当時の記録がほとんど残って無い訳です。
秘匿基地特有の現象で、現地の人でもこの場所に基地があった事をほとんど知らない事が多いんですよね。

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こんな近くの、のどかな海に、こんなにも重い戦争の過去があった事に驚きました。
15歳から20歳までの少年兵たち8000人が4期にわたって訓練を受け、
1期生は1691人中1140人が沖縄やフイリピンで亡くなったそうです。

この地に赴任した海上挺進隊特設52船隊は2期生にあたり、5ヶ月遅れの入隊。
それが運命の分かれ目らしく、出撃前に終戦を向かえたとの事です。

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ちょっと重い話になってしまいましたが、この港に住む人達はそんな過去は関係ありません。
過去に捕らわれず有る物は何でも使ってしまえの、この精神は凄いと思いませんか?
高さが足りないから、ブロックで補ってます。(笑)

この桟橋もいずれ、自然に朽ちるか、取り壊されて行く運命だと思います。
それで構わないとおじさんは思います。

只ね、この港には、こんな過去があったんだよ。って話だけは残してあげたいなぁ。

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戦争遺産と聞くと眉をひそめる方が多いですが、知る事は大事だとおじさんは思います。
以前にも同じ事を書きましたが、本物を見ないと分からない事って世の中には沢山ありますが、
戦争遺産もそういう種類のものだと思ってます。
当時の痕跡が語りかけて来る、あの感覚は現地にしか無いものだと思うからです。

この地に起きた事を知って、この海を見た時、きっと以前と違う海が見えて来ると思うんですよね。

博多のおじさん&まめ



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