(=´▽`=)ノはい。皆さん、こんにちは。 今回の時空紀行は福岡市で最も古いダム貯水池にまめと訪れて見ましたよ。 どれ位古いかと言うと大正12(1923)年に完成です。 出た。おじさん得意の明治大正物!!(〃⌒ー⌒)ノ どもっ♪ でも只、古いだけではありませんよ。 なんと歴史・技術・景観の価値が評価され、昭和60年には「近代水道百選」に選定され、 平成21年度には福岡市有形文化財にも指定されたダムなんです。 時空紀行で訪れるには持って来いの物件ですよね。 それでは早速、そのダムにまめと一緒に出掛けて見ましょうかね。 福岡から佐賀県三瀬方面に向かう国道263号沿いから少し入った所、 福岡市早良区大字曲渕にこのダムはあります。 国道から脇道に入り少し歩くと立木の隙間から石積ダムの姿が見えてきました。 おぉ(゚ロ゚屮)屮 良いじゃないか!! 山間に優美な姿を覗かせています。 重力式コンクリート造で、外面は花崗石の練石積みになってますから、素人のおじさんでも 普通のダムの外見とは違う事が、はっきり分かります。 ┌(_ー_ ;┌ )┐ムムム・・・ 石積みダム・・・そそるなぁ。 あれ!?堰堤前面は、どうも公園の様だぞ!? まずはあの公園に行ってみましょうかね。 (〃⌒ー⌒)ノ どもっ♪ クリでーす。 はい。ここが公園に繋がる桜橋です。 えっ!?何故オイラがここにいるかッて!? 聞いて下さいよ。(_≧Д≦)ノ彡☆バンバン!! おじさんが撮り忘れた写真が有るとか、風景写真は青空が必要だとか訳の分からない事を言って、 オイラもこの時空紀行に狩り出されたんですよ。 (´-ノo-`)ボソッ...ここだけの話なんですが、まめ兄貴なんか2回もここに連れて来られているんですよ。 オイラが1回で合計3回もこの紀行の為におじさんは訪れてます。 オイラの時は5時間位ここに居ましたら、 まめ兄貴の2回を足せば合計で15時間は間違い無く、この紀行の為に取材してます。 おじさんの紀行物への執念には感服しますよ。本当に。 それではまめ兄貴、お後宜しく!! (〃⌒ー⌒)ノ どもっ♪ クリお疲れさん。 それでは現場からオイラがいつもの通り、このダムの事を簡単に説明するね。 とは言ってもオイラもダム関係は素人なので、書籍に書いてある事の受け売りなんですけどね。 この曲渕ダムは大正5年(1916)に着工し、12年(1923)に竣工した福岡市初の上水専用ダムです。 当時は堤高31.2m、堤頂長142m、総貯水容量142万㎥でした。 時空紀行的な言い方をすれば、2016年現在で93年物の物件です。(笑) 右の写真は水道創業時のスタッフの写真です。(ダム管理事務所に展示されてたもの) 英国人技師を招いての一大事業だった事が伺えますよね。 それでは時空紀行らしく当事の様子を想像して見ましょうかね? それでは93年前にタイムトリップȨです。 (=´▽`=)ノはーい。93年前の現場のクリでーす。 ここからはオイラが説明します。 当事の福岡市の水事情は決して良い状態では無く、 福岡平野の地層は所によっては優良な水が湧き出る所もありましたが、 全般的に塩分や鉄分の含有量が多く、飲料水としては適していなかったそうです。 ですから、住民は上の写真の様な水売り荷車から(ダム管理事務所に展示されてたもの) 優良な水を購入していたとの事です。 又、こう言う水事情ですから、 大正11年には福岡市にコレラが発生し176名の患者を出し、内79名が死亡したとの事です。 当事は安全な水を仕入れるのも大変だったんですね。 こんな時代背景の中、このダムの建造が進められた訳です。 左の写真は(ダム管理事務所に展示されてたもの)水道の完成を伝える当事の新聞です。 一面使ってるよ。やはり凄い事だったんでしょうね。( ̄o ̄*(_ _* ) ウンウン 記事の内容を簡単に要約すると下記の通りです。 「福岡市民が永年渇望した上水道は、めでたく完成を告げ 3月1日午前10時より市内抜天運動場に於いて盛大なる通水式を行う事になった。 10年の月日と868万円の工費と延人員70万の人員を要した福岡市の上水道は完成した。 しかし、この上水道が出来上がるに至っては幾多の紆余曲折を経たものである」等々。 【工費の868万円は現在の価値に換算すれば約48億円。因に大正12年度の福岡市の予算は約260万円との事でした】 ( ̄‥ ̄a;)ぽりぽり 福岡日日新聞って何処の新聞社だぁ!?と思ったら、現在の西日本新聞社の前身でした。 この新聞社は福岡を中心に九州一円で発行、販売されている地方紙です。 こうして、水道の供給は始まった訳ですが、当初は市民の中にその良さが分からない人もいました。 そこで水道局はチラシ等を(右の写真ね)配付して告知を進めたとの事です。 そのチラシの内容が面白いですよ。 こんな感じです。(=´▽`=)ノ 「コレラでもチフス赤痢もなんのその、水道ひけば家内安全。 料理に使えば、味よく、柔らかく煮え、ねまり方(腐り方)も遅い」 (||| ̄□ ̄)<あちゃ 凄い、うたい文句ですよね。 ねまり方って・・・もろ方言です。(笑) この後、このダムは2度の拡張工事を受けています。 1度目が昭和6年(1931年)ダム堤体の嵩上げ 左の写真が拡張工事中のダムの内側の写真です。(ダム管理事務所に展示されてたもの) 2度目が平成元年(1989年)ダム堤体改良工事 老朽化・漏水対策等 この2度の拡張工事で堤高31.2m⇨45m、堤頂長142m⇨160.6m、総貯水容量142万㎥⇨260万㎥に変わりました。 堤高45mは、現存する国内の石積ダムではもっと高い堤体との事です。 2度の嵩上げにより、竣工当時の姿とは変わってしまってますが、 曲渕ダムは竣工当初から、かなり美観を意識したデザイン性の高いダムであった事が 現在の曲渕ダムを見ても十分に分かります。 どうして、この時期の建造物ってこんなにカッコイイのでしょうね。 本当に不思議です。 大正時代に作られた風格のある花崗石の石積の堤体の上に 平成の時に作られた御影石?の天端の白い高欄が見事にマッチして目を引きます。 ダム好きの方にはたまらない機能美なんだろうなぁ!? まめの写真を撮りながらそんな事を思ってました。 ダムの事に詳しく無いおじさんでも、 このダムは本当に良いオーラを出しているのだけは分かります。 何だか落ち着く。良いなぁここ。 しかし、俗物者のおじさんには、別の物にも見えたりします。 (; ̄□ ̄)ゝおぉぉっ? あそこに聳える城壁は、ラダムート城かぁ!! まるでRPGゲーム世界の古城の城壁の様に見えます。 勇者まめのレベルが1上がったって感じです。(笑) そのラダムート城の横から流れ出る小川は・・・ ( ̄◆ ̄;)うっ・・・違った。早く現実の世界に戻らなければ。(笑) ダムからオーバーフローした余剰水はダムの右側からレース状の模様を作って 又、こうして川に戻って行きます 溢水路から流れ出る水の近くに行って、 まめと白い波が次々と現われては消えて行く様子を眺めてました。 見事なレース模様で本当に綺麗でした。 おじさんは、この白い波を見て「上手い事、波が出るもんだなぁ」程度に 考えていたのですが、実は違いました。 (´-ノo-`)ボソッ...取りあえず、調べて来ました。 この白いレース状の波の事を転波(てんぱ)と呼ぶらしいです。(=´▽`=)ノ 転波とは越流部を越えて水が流れ落ちる角度と底面の加工の荒さによって 幾何学模様の波を作る状況を指す言葉らしいです。 何故そんな事をするかと言うと落水時の衝撃による基礎部崩壊を回避するする為に、 出来るだけ水の勢いを弱める様に施工された施工技術との事です。 ある意味究極の機能美なのかもしれませんね。 九州では大分県の白水ダムが転波では有名で、おじさんも白水ダムは知ってましたが 現地では、この転波と白水ダムが結びつく程ダムに詳しくは無い訳で・・・ もう少し訪れる前に下調べしてれば、 転波の発生の説得力のある写真が撮れたのに申し訳ないです。 m(_ _;)m 因に、ここには合計3回訪れてますが、転波を見れたのは、その内の1回だけでした。 いつも余剰水が流れている訳では無い様です。 一通りの撮影を終えて、ダム前の公園でめちゃ、リラックスしてるまめ。(=´▽`=)ノ 石積ダムの背景のお蔭で、何だかとても落ち着いた気分になれます。 こう言う時空紀行特有の時間(とき)をまめと共有出来る事が この紀行の醍醐味かもしれないなぁ。 それは、クリと居る時も同じです。 うさぎ連れの旅も捨てたものでは無いと思える瞬間でもあります。 そう思って、正面に回って、まめの顔を見ると・・・ この畏怖堂々とした「どや顔」。 ΣΣ┗(|||`□´|||)┛ンガァァー!! なんでそんなに偉そうな顔なんだぁ!! 折角良い感じでこの紀行パート1を終わらせようと思ってたのに。 最後にまめのこんな、どや顔写真ですいませんが、これでパート1終了です。 ( ̄◆ ̄;)うっ・・・良いのかこんな終わり方で・・・ 次回は、このダムの天端(てんば)の様子を書きます。(ダム頂上部の事) こちらも中々見応えがありました。 続きはこちらから。 進む⇨ |
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