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(〃⌒ー⌒)ノ どもっ♪ みなさんこんにちは。
今回で曲渕ダムの時空紀行は最終回となります。
パート1、パート2でこのダムの事をみなさんと一緒に勉強して来ました。
基本、ダム好きの方のHPの記述や、水道局の資料を参考にして、おじさんが分かる限りで書いて来た紀行でした。

ダム紀行として考えれば、前回のパート2で終了しても問題無かったのですが、
最終話のパート3では、おじさんらしく、廃虚や産業遺産を見る目でこの曲渕ダムを再度見つめ直してみます。

ダム好きの方のHPやブログ等でもほとんど取り上げられていない、
この曲渕ダムの遺跡とも言える物をご紹介したいと思います。
略、推測でしかない内容ですが、まめやクリと合わせて3日間、述べ15時間近くこのダムに通い、
考えに考えて、おじさんが導き出した推測をお楽しみ下さい。(笑)

(=´▽`=)ノ題して、「眠れるダム遺産」の始まり。始まり!!

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パート2でダムの天端に上がった時に何気なく撮った写真なのですが、
ダムの 堤体の最下部に何やら箱状の物が?
アップで撮ると、明らかに怪しい煉瓦作りの建造物です。

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ダム管理事務所に展示されていた竣工当時の写真を見ると・・・

おぉ(゚ロ゚屮)屮 同じ物が写ってる!!
何故、こんなに目だつ物に気付かなかったんだ?

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正面に回って見ると、その訳が分かりました。
既存の施設の裏側に有る為に、普通に見ても見えなかった訳なんですよ。

立入り禁止区域のフェンス越しにカメラを上に上げて、
望遠+バリアングル液晶を駆使しても全体像は撮れない位置にあります。
しかし、堰堤入口の扁額の「福岡市上水道 貯水池」の文字は読み取れました。
この美しい書体と、この味の有る煉瓦作りの門構えは間違い無く竣工当時の物だと確信しました。

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( ̄‥ ̄a;)ぽりぽり 折角見つけた堰堤入口。
どうにか全体像が撮れない物かと思案していると
クリが「あそこから超望遠で撮れば撮れるんじゃね」って言ってます。

(゜ロ゜;)....う・・うそ 隣の山に登れと・・・

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ε=( ̄。 ̄;A フゥ… 登って来ました。
ゲッ!! いくら何でも遠すぎないか? (ll゚◇゚ll) 汗
しかし、ここからなら、確かに堰堤入口の全体像が見えてます。

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カメラを三脚に固定して撮影開始。
おぉ(゚ロ゚屮)屮 良い感じで撮れます。

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これが何なのか調べに調べて、やっと福岡市の有形文化財の資料に
写真入りで記載されている資料を見つけました。
やはりこの建造物は堰堤入口で扁額の「貯水池」も大正時代の竣工当時の物だそうです。

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入口の脇に置いてある石柱は福岡市の資料によると大正12年竣工当時、
このダムの天端(ダムの頂上部)に置かれていた欄干の石柱との事でした。

この堰堤入口の事は普通では中々見えない位置にある事が原因なのでしょうね。
福岡市の有形文化財の資料以外では、ネットではまったく出てこなかったので、
このダムの隠れ遺産だとおじさんは思います。

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堰堤入口の写真を撮る為に、となりの山に登った訳なんですが、左の写真の⇩の位置から撮ってました。
その時にこの謎の建造物の存在に気付きました。
隣の山とダムの間の谷にあります。
再度、ダム側に戻り近付いて見ると・・・うーん。何だか廃虚っぽい感じが素敵です。

(||| ̄□ ̄)<あちゃ 
この手の景観を見て素敵って思うのちょっと危ないゾーンにおじさん入ってしまったかぁ?

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クリが居る所から、写真では分かりませんが、石の階段が下に伸びてます。
薮に阻まれて、一番下までは行けませんでしたが、近くでこの謎の建造物を見ると
コンクリート製の櫓見たいな建造物です。

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良く見ると谷の反対側にも同じ様な物が点在してます。
ここからは推測ですが、昭和6年当時のダムの拡張工事の時の鉄管やセメント等の搬入に
使った物ではないかと思ってます。

当時は資材をトロッコに乗せて牛馬に引かせて運んだとの記録が資料に残ってます。
この建造物は炭坑の石炭の搬入に使う炭坑遺跡の建設物に似ている気がしたものですからそう推測して見ました。

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この謎の建造物の資料は一切見つける事が出来ませんでした。
でもクリの後ろに写る謎の建造物のシルエット、何となく素敵でしょ?
そんな事を思うのはおじさんだけかな? (笑)

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続いて見つけた怪しい物件はダムの放流用の河川の横にありました。
橋を渡り近付いて見ると・・・

おぉ(゚ロ゚屮)屮 
この作りは今まで見て来た一連の建造物とそっくりだぞ!!
しかも扁額がある。なんて書いてあるんだ?

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あまりに達筆で判読に自信が持てませんが、多分「松原隧道」と書いてあると思います。
反対側に水路がある事を考えると、当時の上水の送水用のトンネル跡では無いかと推測しました。

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送水用のトンネルと思った、もう一つの根拠はこのトンネルの名前です。
「松原隧道」

当時、住民は上の写真の様な水売り荷車から(ダム管理事務所に展示されてたもの)
優良な水を購入していたと言う事をパート1で勉強しましたよね。思い出して下さい。
水道が出来る前は福岡の旨い水の代名詞は「松原水」でした。

旨い水の通るトンネルだから「松原隧道」。
いかにも、当時の人が付けそうな洒落た名前だと思いませんか?

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クリやまめが言う通り、この遺跡はトンネルの上部だけが地表に出て、
トンネル本体は土の中に埋まっていると推測されます。

しかし、お前ら普通に、おじさんの推論に参加するなぁ。
うさぎさんの写真として見れば、結構凄い所に座っている2羽ですが
時空紀行では毎回スルーされてます。(笑)

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少し地面を削って見ましたが、やはりこの下にトンネルがありそうです。

( ̄‥ ̄a;)ぽりぽり 待てよ。
トンネルの入口があるって事は出口があるって事だよな。
もしも出口を見つける事が出来たら、おじさんの立てた仮説が証明出来るかも?

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取りあえず、トンネルが通っていると思われる山の周りを探索します。

おぉ(゚ロ゚屮)屮 
何か怪しい石碑があんな所に!!

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クリと登って来ました。ε=( ̄。 ̄;A フゥ…

(||| ̄□ ̄)<あちゃ 出た!! このダム遺跡定番の難解、崩し字三文字創作熟語・・・
曲渕水道等々の文字は読めるので、水道関係の石碑には間違いなさそうなんですが・・・
取りあえずこの表題の三文字熟語だけでも解読せねば。

「錦梶渕」かな?

「渕」はこの曲渕ダムの事で間違いないと思うんですよね。

「梶」は多分、船の梶棒のカジの意味を込めた様な気がするんですよね。
福岡市で始めての上水ダムだから今後の水道事業のカジを取る場所だとか、
今後の水道の指針の意味合いで付けたのでは無いかと思えます。

問題は最初の一文字です。達筆過ぎて読めない・・・
「錦」だったら、錦は金にも等しい織物の意味があるから、
当時の水は金にも等しい貴重な物だから錦を頭に持って来た。こんな解釈はどうだろうか?

金にも等しい水の未来を梶とる所、曲渕。

( ̄o ̄*(_ _* ) ウンウン
意味合い的には、いかにも当時の人が書きそうな創作三文字熟語解読です。
こんな推測で勘弁して下さい。正直分かりません。m(_ _;)m

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石碑も見つけたし、そうそう簡単にダム遺跡なんて見つかる訳無いよなぁと思いながら
歩いていると、それは突然現われたました。

(゜ロ゜;)....う・・うそ
マジかぁぁぁ!!


33 34

本当にトンネルの出口あったよ。ヽ(´Д`;≡;´Д`)丿アワワ
こんな廃虚トンネル見て何だか涙が出そうです。(泣笑)

しかも扁額も残ってる。す・す・凄すぎる!!
「渕泉通」って書いてあります。

おぉ(゚ロ゚屮)屮 初めて見るだけで、上水の送水用だと分かるネーミングです。
曲渕ダムの美味しい水の通り道だぞぉぉぉって言ってるよ。(笑)

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この隧道の出口発見で略、おじさんの仮説は実証出来たのでは無いかと思ってます。

o(`⌒´*)oエッヘン 
そんなに威張る事でも無いですけどね。(笑)
しかし、こんなマンガ見たいな事が起るから時空紀行止められません。

只、この隧道の記録は何処にも残ってませんでした。
100年近く前の事なので、仕方ない事ですけどね。
あくまでおじさんの推測でしか無い事をお断りしておきます。

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隧道の出口も見つけたし、もう良いかなと思ったのですが、折角来たのでもう少し散歩を続けます。
(´-ノo-`)ボソッ...どれだけ歩き回るねん。って思われそうですが・・・

トンネルの出口の先の橋まで歩いて来ると、現在の送水管が橋の横にありました。
この橋のデザイン・・・ダムの感じに似ているなぁ。と言う事はこの橋も怪しいかぁ?

とまめと調べて見ましたが、橋の竣工は昭和8年です。
第一期拡張工事が昭和6年でしたから、その当時の橋って事になります。
残念ですが、あの隧道とは関係無さそうです。

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がしかし、なんと橋の横に昔の橋梁跡が!! (; ̄□ ̄)ゝなぬっ?
明らかにダムの石積と同じ材質の花崗石です。

しかも、今の送水管の基礎の鉄骨は無骨なデザインですが何か訴えかけて来る力強さを感じさせます。
この感じはダムの持つ雰囲気と似てる気がするおじさんです。
その上、この橋梁跡の上に綺麗に収まっている事を考えると、
この鉄骨までは大正時代の物だと思われます。
多分当時の送水管も同じ位置にあったのでは無いかと推測しました。

あの隧道出口から、この橋まで道でつながっている事を考えると
多分今の送水管とあまり変わらない位置を通っていたと思われます。

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まめが言う様に多分この橋の横に、この橋とほとんど変わらないデザインの橋が
架かっていたのではないかと推測されます。

この橋のデザインが何となく大正ロマンを感じさせるのは
ダムの天端と同じように元の橋を模倣して
当時の面影を強く残したかったのではないかと推測したおじさんでした。

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今回、初めてダムを本気で観察し、曲渕ダムを通して
ダムの歴史と歩みを見る事が出来ました。

こんな事が出来たのも、まめやクリのお蔭だと思います。
多分おじさん一人ではここまで、このダムに入り込む事は出来無かったと思えるから。
この写真のようにベンチに座り込み、クリとこのダムの事だけを考える時間を共有します。
そんな時間の中からだけ見えて来る物がある事が今回の紀行で分かりました。

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トンネルの出口を見つけた私に優しくまめが「良かったね、おじさん」って話し掛けて来てくれます。
実はこんなまめの顔が見たくてトンネルの出口を探していたのでは無いかとさえ思えて来ます。

うさんぽの先にあるもの・・・朧げですが何となく見えた気がした今回の紀行でもありました。
長い長い時空紀行、最後まで読んで頂いて本当にありがとうございました。
次回もまめ&クリとうさぎさんと一緒に行くからこそ書ける紀行をお届けしたいと思ってます。

博多のおじさん&まめ&クリ

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