皆さんは下関要塞と言う言葉を聞いた事があるでしょうか? 今回まめと訪れた高倉堡塁跡は北九州市小倉南区に1899(明治32)年起工され、 翌年1890年(明治33)竣工した堡塁で、その下関要塞の中の一つです。 実はおじさんも時空紀行用に戦争遺産を調べるまでは知りませんでした。 下関要塞とは1894年(明治27)に始まった日清戦争の際に関門海峡と その周辺の防衛の為に築かれた砲台基地の事です。 下関側に11基地、九州側に7基地、玄界灘の島に6基地が作られました。 1895(明治28)年に、この全ての基地を総称として下関要塞と呼ぶ様になり、 その管理の為に下関要塞司令部が発足し、砲兵連隊が配備されました。 下関要塞は時空紀行で取り上げたい戦争遺産だなぁとは思っていたのですが、 今現在遺跡として残っている下関要塞群は一部を除けば、 公園化された砲台跡、キャンプ場になった砲台跡、跡形も無い砲台跡、等々 開発という流れの中に巻き込まれ、当時の面影を見る事は難しくなってます。 そんな中、左の堡塁跡の写真をネット上で見つけました。 (゜ロ゜;)....う・・うそ なんだぁ?この写真は・・・ 本当にこんな場所が実在するのか? この高倉堡塁跡は今も深き森の中に眠り続け、当時の面影を強く残していると聞き、 この忘れられた森の戦争遺産へと向かってみたのです。 とは言え、この忘れられた森の戦争遺産へ行くのが本当に大変でした。 高倉堡塁は明治末には廃止となりますが、廃止後も機密保持のため立ち入りは制限され、 地域内の測量・撮影などは1945(昭和20)年の第二次世界大戦終戦まで要塞司令部の許可が必要だった過去があり、 地元の人も、ほとんどがこの高倉堡塁跡の存在すら忘れてしまっていたのです。 普段の時空紀行では地元の人に話を聞いて現地に出向く事がほとんどなのですが、 今回はこの手は使えません。それどころか道中、誰とも出合う事さえありませんでした。 そこで今回は言った事がある人のブログ等を参考に、 地図にそれぞれのブログに書いてある目印を書込んで行って 最終的にそれを一つにまとめた手製の地図を作成しました。 まずは車で行ける最終目的地、高蔵山森林公園(写真右)へ向かいます。 高蔵山森林公園の周回コースの案内看板が最初のチエックポイントです。(写真右) ここからは、登山道を徒歩で進みます。 目的地までの道順の説明はここでは、はぶきますが、約3キロの道のりを1時間掛けて歩く事になります。 そんなに険しい山道ではありませんが、それなりの覚悟が必要な行程ではありました。 左の写真の様に狭い林道も途中には存在していますし、正直、 「この道で間違い無いのか?」って疑問は最後まで付いて回ります。 右の写真の水か出ている沢は、この道のりの重要な目印の一つになってます。 廃虚やこの手の戦争遺産を中心に見て回っている方でも、途中でリタイヤする方も多いと聞きます。 確かに分かり難い道のりです。 しかも、わざわざうさぎさんまで連れて来てる、おじさんって・・・ こんな風に目印がある場所まで到着するとほっとします。(笑) 最終的には道標に書いてある「高蔵山広場」を目指す事になります。 ここまで約半分強の行程は歩いた訳ですが、 日曜日の昼間に行ったのですが誰一人すれ違う事すらありませんでした。 山歩きのコースとしてもあまり人気は無いのかもしれません。 考えて見ると、まめ移動セット一式に撮影カメラ一式、その他自分の持ち物等々、 結構な重装備です。息が上がりかかったその時に おじさんにとどめを刺す様に、こんな立て札が・・・ 勘弁してくれよぉぉぉ!! (ll゚◇゚ll) 汗 (゜ロ゜;)....う・・うそ!? マジかぁぁぁ!! 落石なんて可愛い物じゃなくて、木が丸々一本落ちてきてるんですが・・・ 「マジかぁぁぁ」を連呼して、やっとの思いでたどり着いた、最終の分岐ポイント 「高蔵山もみじの森」に到着。 ここは少し開けた場所で、休憩用のイスもあります。 もみじの紅葉がこれまでの道のりで荒んだおじさんの心をほんの少し、柔らかくほぐしてくれました。 (_≧Д≦)ノ彡☆バンバン!! 最後の分岐さえ間違えなければ、後は一本道を進むだけのはずです。 ここで日記用のまめの写真を撮っていると、イスの横に何やら石の柱が倒れてます。 これは・・・┌(_ー_ ;┌ )┐ムムム・・・ 怪しい。調べて見ると。 ほとんど消えて読めないのですが、「下関要塞第○地帯」って彫ってあります。 (○の場所は読めませんでした。多分数字か記号が入ってたんじゃないかな?) これって要塞区域標ではないですか。 (゜ロ゜;)....う・・うそ おぉ(゚ロ゚屮)屮 これがあるって事は、ここら辺から、高倉堡塁の管理区域に入ったって事ですよね。 と言う事はこの道は軍道と言う事になります。 他にも物証と成る物は無いかと注意深くこの軍道を進むと・・・ こんな石積の囲いがありました。これも怪しいなぁと思い目を凝らして見ると・・・ その石積みの上の方に、陸軍標石がぁ!! 間違いありません。高倉堡塁の敷地に入ったぞぉぉぉ。(〃⌒ー⌒)ノ どもっ♪ 高倉堡塁は北九州の周防灘方面の防衛拠点として作られた基地です。 この軍道を進んで行くと南東方向の視界が開けてきます。 中央の小島は曽根干潟沖の間島で、左側は小倉南区の住宅地です。 湾に流れ込む川は竹馬川で間島の先が守るべき周防灘です。 更に軍道を進むと、それは突然姿を表しました。 (゜ロ゜;)....す・す・凄い!! 本当に実在した森に眠る戦争遺産。 高倉堡塁跡 ずらりと列ぶ赤煉瓦作りの倉庫群。同じ形の物が8棟列んでいます。 それぞれの倉庫の幅は約10mで高さは3m奥行きは20m程。 全体で80m程の幅があり、近くで見ると凄い迫力です。 高倉堡塁跡の倉庫群の前は広場になって開けています。 しかし凄い景観です。まめも何か感じる所があるのでしょう。 一心に倉庫群を見つめています。 まめが乗っている赤煉瓦で出来た物も当時の建設物の遺跡だと思います。 擬装の為、倉庫上部には土が盛られており、今は上部は森林化してます。 正に「森に眠る戦争遺産」の言葉通りの景観に鳥肌が立ちます。 この光景を見たい為に山道を1時間掛けて登って来た訳です。 100年以上前に作られた高倉堡塁跡、実戦には使用される事は無かったそうです。 今は森の緑に溶け込む様に静かに眠りに付いてます。 この場所に、まめと一緒に座って長い時間、二人で飽きもせずに倉庫群を眺めてました。 山道を3キロ以上歩かなくては辿り着けない場所だから、この姿のまま残る事が出来た遺跡だと思います。 このまま時が経過すれば、やがて森の中に溶け込んでしまうかも知れませんが 願わくばその日までこの姿まま、変に観光地化されずに「忘れられた森の戦争遺産」で いてもらいたいと強く思ったおじさんでした。 毎回何気なく撮っているまめの写真ですが、ふとおじさん思いました。 うさぎさんと戦争遺産のツーショット写真って、ある意味凄いかも? この写真ばかりは、戦争遺産&廃虚メインの方々でも絶対に撮れない1枚ですよね。(笑) ここに来たうさぎさんは間違い無くまめが初めてだと思います。 もしかしたら、ペットとしての動物でも初めてかもしれません。 ここまで山奥だと流石にワンちゃんでも辛いですもんね? さてさて、次回は、この高倉堡塁跡をまめと一緒に調査します。 どうかゲジゲジとかコウモリとか出ませんように!! 進む |
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