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(=´▽`=)ノみなさんこんにちは。
今回は鉄の町、福岡県北九州市にある東田第一高炉跡の時空紀行を、お贈りしたいと思います。
今回の案内うさぎは、ご存知「旅うさ」のまめです。
見ての通り、今回も気合いが入った顔でトップの写真に収まってます。(笑)

北九州都市高速に乗り、皿倉山の裾野を走り大谷ランプを通過するころ、
眼下にスペースワールドの観覧車にスペースシャトルが見えるのですが、
その横になにやら巨大建造物が見え隠れして来ます。それが今回目指す、東田第一高炉史跡です。


ここには「鉄は国家なり」のスローガンの元、
1901年(明治34年)に国家を挙げて建設された「官営製鐵所跡」があります。
当時の総理、伊藤博文も視察に訪れ、建設中の施設で記念写真も撮ったと
資料に残る程の力の入れようだったとの事です。

建設された明治34年は西暦1901年であり、高炉には誇らしく、大きく1901の札が今でも掛かってます。

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国内で初めてつくられた超高圧高炉「東田第一高炉」を保存公開するために整備された巨大なスケールの施設。
その当時、日本の産業技術の歴史において画期的だった、まさに近代製鉄・発祥の地と呼ぶにさわしい
貴重な遺産として、現在は北九州市の文化財に指定されています。

高々とそびえ立つ純白の熱風炉(ねつふうろ)と、
当時の作業工程を連想させる櫓のような鋼鉄の骨組み(高炉)。
その存在感は堂々たるもので、第一線で活躍していた歴史の重みを感じさせます。

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高炉の成り立ちから現在までを分かりやすく解説したパネルや、
実際に使われていた貨車などがそのまま展示された充実の空間が一つの広場公園として整備されています。
中でも、左の写真の視界をふさいでしまうほど超巨大な高炉本体の迫力は圧巻です。

それでは、この施設を案内うさぎのまめと一緒に見て行きましょうかね。

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さてさて、まずは一番最初に問題です。(〃⌒ー⌒)ノ どもっ♪
まるで小学生の社会科見学で悪ふざけしている様なまめですが、
まめが居るこの場所は、この高炉のどんな施設でしょうか?

(=´▽`=)ノみなさん分かりますか?

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まめが居た場所は、高炉に1000度を超える熱風を送り込む熱風管の実物の中でした。
内部は高温の空気が通る為に、耐火煉瓦が張り詰められた耐火構造となっていたんですね。

近代化産業遺産をまめやクリと訪れる様になっていつも思うのですが、
一見、凄い技術の結晶の様な施設でも、根底には昔から培って来た
言い方を変えればちょっとレトロな技術が新技術をしっかり支えていたのが分かります。

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まめが居る熱風管の内部には100年以上前のすすが今でも残っているかも?
そんな事を妄想するだけでも本当に楽しいです。
大事な保存資料を痛めない様に、ちょっとだけまめとのツーショット写真を撮らせて頂きましたよ。

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さてさて、次は芝生広場に置かれているこの謎の物体。

( ̄‥ ̄a;)ぽりぽり うーん!? これは???
昔見たSF映画の潜水艇か!?
または宇宙より侵略してきた宇宙人の着陸艇か!?と思える建造物が?

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(´-ノo-`)ボソッ...まめ、これ何だと思う!? と聞いて見ると・・・
これ、テレビアニメのガンダムに出て来るモビルスーツだと思う。
おじさん、オイラこのモビルスーツ操縦していいかな?

( ̄_ ̄|||) どよ〜ん まめ。多分操縦は出来ないと思うぞ・・・

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この謎の物体は「転炉」と呼ばれている物らしく、要約すると
高炉から運ばれた銑鉄に、生石灰を入れ酸素を吹き込むことで、
銑鉄に含まれる不要な炭素分などを燃やして取り除きます。
こうした作業が終わると、銑鉄は粘りのある強い鋼に生まれ変わるらしいです。

上の説明看板一生懸命読んだけど理屈は今一つ理解出来ませんでした。
ごめんよう。m(_ _;)m

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転炉の名前の由来は左の写真の通り、ひとつは、くるっと回転する構造の事も有るらしいのですが、
銑鉄から鋼鉄に変えるコンバーターの意味合いも込めて付けられたとの事でした。

(´-ノo-`)オーイまめ。
そんな所にいると、熱で溶けちゃうぞぉぉぉ。

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転炉は鋼鉄を造るのに欠かせない物だったのですね。
決して、モビルスーツとかではありませんでした。(笑)

そんな製鐵の要とも言える転炉とまめとのツーショット写真もしっかり撮って来ましたよ。

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続いて、まめがまるでワンちゃんの散歩の様にテケテケ歩いて来た先に、
見た事も聞いた事も無い様な物が展示してありました。これは何だぁ!?

しかし、まめ、もう完全に犬化してますよね。
うさ飼いさんだったら分かると思いますが、この手の写真は、
うさぎさんでは撮れそうで結構難しい写真なんですが何の違和感も無く写り込んでます。(笑)

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これはノロのかたまりだそうです
右の説明看板通り銑鉄とスラグが混じり合ったもので東田第一高炉を整備するとき、
高炉の中から出てきたらしいです。
ほほぉ。確かに銑鉄が混じった岩みたいに見えます。勉強になるなぁ。

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東田第一高炉跡の裏側には運搬用の列車と銑鉄を運ぶトーピード・カーと呼ばれる物が展示してありました。
当時は戸畑と八幡の間に、専用鉄道が敷設され、これで運んでいたそうです。

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あれ!? 同じ写真が続いている。そう思ったでしょ?
いえいえ、良く見て下さい。芝生の所にまめが。
施設がめちゃめちゃデカイので、結構まめから離れないと全体像は撮れません。
まめに「そこで待てよ」って言いながら、じわじわ下がって撮った写真です。

「良しいいぞ」って呼び掛けるとまめ、全速力で戻って来ました。
流石にちょっと怖かった見たいです。(笑)

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新日本製鐵八幡製鉄所内や戸畑地区と八幡地区を専用鉄道、通称「くろがね線」で使用されていた機関車だそうです。
厳つい顔だちと独特のE601の車体ナンバーそれに緑十字が産業車らしくって素敵です。

(´+_+`)ウゥ…いかん。近代化産業遺産の場所に最近多く訪れるようになって、この手の働く機関車が
物凄くカッコイイと思える様になってきた。(笑)

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戦前製の私鉄及び専用線向けの電気機関車では最大級の物らしいです。
車体は汽車製造株式会社が担当し、電機動力部門は芝浦製作所(現在の東芝)が担当して造られた物との事。
正式名称は60ED形E601

なるほど、車体を汽車製造の会社が造っているから、何だか蒸気機関車の様な、重厚な雰囲気があるんですね。
まめも納得した様です。
しかし、素晴らしい保存状態です。今でも現役で走れそうな位に綺麗でした。

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貨車部分は、ドロドロに溶けた銑鉄を運送するという製鉄所ならではの特殊な車両が使われていました。
容器の内側には約2000度の高温に耐えられる様に耐火レンガが貼られています。

(=´▽`=)ノはい。本編とはまったく関係ないけど、うさ飼いさんは写真の芝生の所に注目。
ここにもまめが写り込んでます。
こんな所にうさぎさんを放置して逃げ出さないのか?っていつも聞かれますが、
もはや、旅うさとして成熟期に入っているまめには、何の問題もありません。
時間を掛けて付合えば、どんなうさぎさんでも可能なんですよ。本当ですから!!

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それでは本編に戻りますね。(=´▽`=)ノ

この特殊貨車はトーピード・カーと呼ばれています。
トーピードとは、魚雷のことで形が似ていることから、そのような愛称が付けられました。

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他の製鉄所ではドイツから技術導入して日本で製作したトーピード・カーを使ってましたが、
八幡製鉄所では自社の開発部門で独自開発したトーピード・カーを使用してます。
同型のトーピード・カーは現在も使用されているとの事です。

そんな凄いトーピード・カーとまめのツーショット写真で第一部を締め括りたいと思います。
どうですか?少しは、この東田第一高炉に興味が出て来ましたか?
第二部は、どでかい溶鉱炉内にまめと突入します。
さてさて、どんな事になるやら?
(=´▽`=)ノ次回も頑張りまーす。応援宜しく!!

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