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第2次世界大戦中の昭和18年、旧宮村国民学校(現市立宮小学校)の校長先生は悩んでいた。
日本の将来をになう、この子供達が安心して学べる学校を作れないものかと。

そうだ。全校生徒600人が入れる、防空壕地下教室を作ろう。
昭和18年8月29日からこの壮大な計画の作業が始まった。
この防空壕地下教室は「無窮洞」(むきゅうどう)と命名され、
作業は外部からの労力に頼らず、又爆薬も一切使わずに、職員と生徒の手によって、
つるはし、のみ、かなづち等の手作業で掘り進められました。

(=´▽`=)ノみなさんこんにちは。
ドキュメンタリー映画のナレーションの様な書き出しで始まった今回の時空紀行。
長崎県佐世保市城間町に実在する戦争遺産のお話です。

防空壕地下教室ってどんな所だろう?
そんな風に、少しでも興味を持って読んで頂けたら嬉しいなぁ。
そんな事を考えながら、今回の紀行を書いてます。
それでは時空紀行 無窮洞の始まり、始まり。


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まず始めに。

こんな場所にうさぎを連れて行くなんて不謹慎だ。
きっとそう思われる方も少なくないでしょう。

ごめんなさい。ごめんなさい。m(_ _;)m
先に謝っておきます。


言訳見たいになりますが、この
「無窮洞」見学に伴って、ボランティアガイドの方に
今回の紀行の主旨を説明し、まめの入場の許可を頂いた事を先にご報告しておきます。
又、この施設の説明を受けた時には、まめも同席した事も加えてご報告します。

ガイドの方は、少しでも多くの人にこの
「無窮洞」の存在を知ってもらいたい。
と話しておられました。

どうしても、聞き手が構えてしまう戦争遺産のお話し、
そんな戦争遺産のお話だからこそ、まめがいるから伝えられる事って
きっとあるとおじさんは思ってます。

前代未聞のうさぎが語る、戦争遺産のお話。楽しんで下さいね。


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まずは、無窮洞が掘られた場所を説明しておきますね。

この防空壕地下教室「無窮洞」は上の案内看板通りに、
旧宮村国民学校の校舎の裏手に掘られた訳です。

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掘削が始まった当時の様子が分かる写真も資料として展示してありました。
掘られたこの岩盤は凝灰岩(ぎょうかいがん)と呼ばれる岩です。

凝灰岩とは火山から噴出された火山灰が蓄積して出来た岩石で、
石材としては軽く柔らかい部類に入ります。
だから、こども達でも掘り進める事が出来たのだろうと思います。


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それではみなさん。早速まめと一緒に中に入ってみましょうかね。
戦争遺産だからなんて、難しく考えないで、洞窟探検のつもりでついて来て下さいね。


それではまめ隊長、宜しくお願いします。

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中に入りました。おぉ(゚ロ゚屮)屮
防空壕なんて、テレビで見た事があるだけで、入った事がある人なんて、
ほとんどいないと思いますが、入っての
第一印象は、涼しく気持ち良いでした。

内部の気温は外気温度と4〜5度は違うんじゃないかな。
訪問した当日は天気も良く、少し汗ばむ感じだったのですが、中に入るとその汗も一気に引きましたから。

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(; ̄□ ̄)ゝなぬっ? なんだぁ。この広さは!!
思っていた防空壕のイメージとはまったく違う世界がここにありました。

入口から入ってすぐの主洞です。
この主洞が一番広く、幅5m、奥行き19m、
高さは明記してありませんでしたが3m近くあったと思います。

後で説明しますが、この無窮洞はこの他にも、いくつかの部屋に別れて作られてます。


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ガイドさんの説明によると、この主洞は防空壕だけで使用されていた訳ではなく、
実際に地下教室としても使用され、今程明るくはないけど、電気も通っていて、照明も完備されていたとの事です。
正面に、スクリーンを掛けて、無声映画の上映なんかもされていたそうです。
凄いですよね。

ここで映画観賞出来たら面白いね。そんな事をまめと話してました。
そんな中、入口に置いてあるイスにちゃっかり座っているまめ。
戦争遺産だからって、構えないでまめ隊長見たいに楽しむ事も大事なんですよ。

しかし流石、穴うさぎ、洞窟内に入って、いつも以上に落ち着いてます。(笑)

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洞窟内にはこんな写真も展示されてました。

写真は、先生に指導された高等部(今の中学)の生徒達です。
男子がツルハシなどで掘り、女子が整形を、下級生が運び出しを担当したとの事です。


階段状にまずは上部を掘り、そして下に掘り進め、洞窟内の高さを確保した作業風景に、
「なるほど、この方法なら、こどもだけでも作れるんだ」って感心しましたよ。

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当時使われていた道具も展示されてましたが、正直こんな道具だけでこの洞窟を掘ったとは・・・
いくら作業性が良い凝灰岩といっても岩には変わりない訳で、とても信じられない事です。
す。

オイラが当時、ここにいたら、自慢の前歯で手伝ってあげたのに。
(=´▽`=)ノあはは、確かにおまえら、基本穴うさぎだから、掘るのは得意だもんな。

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両壁面の腰下部分には当時は板が張ってあったの事で、この部分だけは整形の必要がなかったのでしょう、
当時のつるはしの跡がしっかり残ってます。

凝灰岩は水分を含む特性も持っているので、写真では分り難いのですが、
洞窟全体は絶えず地下水が染み出して濡れている状態です。
掘削した壁面全てを綺麗に整形しているのは、染み出した水が水滴となって落ちない様にする為の加工で、
壁を伝って下の排水溝に染み出した水を集めている訳です。

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主洞の最深部には教壇が作られてます。
削り出しの要領で作られている訳ですが、教壇の天板だけは御影石を後から加工して張り付けてありました。
しかし、凄い加工技術です。これを生徒達が作ったとは・・・

当時の学生さんの意識の高さは、現代とは比べ物にならないのかも知れませんね。
いい歳のおじさんでも頭が下がる思いです。

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洞窟内の細部を見るとまるで芸術作品の様に、細かな装飾が施されていました。
きっと先生と生徒が楽しみながら、作り上げていったのでしょうね。

右の写真の湧き水を利用した水飲場、きっと生徒の誰かが、
「先生、染み出す地下水を集めて緊急用の飲み水を確保しょうよ」とか言って作ったのかな?
そんな事を思いました。

命を守る為の防空壕には間違い無いのですが、
ここを預かる先生達は、この場所を無機質な避難場所としてだけには、したく無かったのだと思います。
そんな生徒に対する先生の愛情が、戦時中と言う極限状態の中にあるにも関わらず、
一見無駄にも思えるこの装飾から強く感じるのは、おじさんだけでしょうか?


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この明かり棚なんか、どう見ても明治時代に流行ったフレンチ・ルネッサンス風な造形ですよね。
絶対に日本風ではありません。


指導した先生はきっと美術の先生では無いかなぁ?
敵対国のフランスの文化を取り入れるその度量は、きっと凄い先生だったんだうなぁ?
そんな事を思ったおじさんです。

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さてさて、これで無窮洞の主洞の方の探索は終了しました。
次回は、この主洞から延びる他の部屋をまめと一緒に探索したいと思います。
まめ探検隊次回も頑張ります。

それでは、又次回お会いしましょう。

博多のおじさん&まめ

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