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今回の日記の舞台、福岡県糸島市。
福岡市の中心部からのアクセスも良く、
玄界灘を望む海は何処までも蒼いです。

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糸島の観光の定番と言えば、二見ケ浦が一番に思い出されるかな?

海沿いにはオシャレなカフェが立ち並びドライブやツーリングで訪れた人達で賑わってます。

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海に沈みゆく夕陽を見ながら、多くのカップルが愛を語り合います。
そんな素敵な糸島・・・


ΣΣ┗(|||`□´|||)┛ンガァァー!!
そこのカップル!! 何イチヤイチャしてるんだよ。
おじさんとまめはなぁ、こんなチャラチャラした観光地なんて興味が無いんだよ。

Σ( ̄□ ̄ノ)ノはっ!?つい取り乱してしまいました。
申し訳ありません。m(_ _;)m

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と言う事で、なんとこんなお洒落な糸島で
よりにもよって戦争遺跡の時空紀行を今回は、お贈りしたいと思います。

と言うか、福岡在中の人でもこの地に戦争遺跡が有る事はまず知らないと思います。
それ位、今回の時空紀行は超マニアックです。(笑)


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さて、そんな超マニアックな今回の目的地は
「小倉陸軍兵器補給廠 小富士常駐班跡」と言う所です。

ここには大戦当時、大規模な燃料貯蔵庫があったらしく、
ガソリンや銃火器等を前線に運ぶ為の補給基地になってたらしいのです。


郷土の歴史、たとえ負の遺産でも伝える事は時空紀行の役目。
まめと精一杯、勤めさせて頂きます。

しかし手持ちの資料はこの地図のみ・・・めちゃアバウトな地図なんですが!!
たどり着けるのか・・・(´+_+`)ウゥ…

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しかし、このアバウトな地図で以前、別の戦争遺跡を見つけた事があります。
(´-ノo-`)ボソッ...略、奇跡的な聞き込みが出来たからなんですけどね。

その時の日記はこちら
時空紀行 特攻艇秘匿基地 大入港


ですからおじさん、この地図、信頼しています。

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今は、のどかな漁師町寺山地区にその痕跡が残っているらしいのですが・・・
ネットで検索すれば確かに
小倉陸軍兵器補給廠 小富士常駐班跡の門柱の写真とか出て来るのですが、
場所の特定が出来ません。

今でも残っているのか? (_≧Д≦)ノ彡☆バンバン!! 

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机上でいくら悩んでいても、絶対に見つかりません。

┌(* ̄0 ̄)┐ワーッハッハッハ、とにかく動いてみる!!
早朝6時、糸島半島に君臨する可也山(かやさん)の見える所までやって来ました。

この山は標高500メートルにも満たないものの、形の整った独立峰でその山容から地元では
可也山(かやさん)と呼ぶ人は少なく、糸島富士(いとしまふじ)又は小富士(こふじ)と呼ばれています。
この山の梺に
小倉陸軍兵器補給廠 小富士常駐班跡が有るはずです。

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見つけました!! (_≧Д≦)ノ彡☆バンバン!! 
こんな風に書くといとも簡単に見つけたみたいですが、
迷いに迷ってようやく見つけたと言うのが本当の所です。

この写真だけ見ると、この門柱の先に広場見たいな所があって、その入口に残っていると思うでしょ?普通は。
でも現実は、村道の横にこの門柱があるだけなんですよ。
門の間に通っているのは「生活道路」なんです。
当然、案内看板とか皆無です。

(´+_+`)ウゥ…これに気付って・・・普通絶対、気付かないと思いますよ。

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このこの記念碑は当時勤務してた事務官の村石氏と寺山地区の住民がこの地に終戦50年に當る平成8年に
当時を忍び人類永遠の平和を祈念して此の碑を
建立したとの事です。

大東亜戦争の風雲を思わせる●●年2月、風向明媚の此の地に
小倉陸軍兵器補給廠 小富士常駐班が設置され、
燃料(ガソリン及び戦車用モービル)の貯蔵及び戦線への補給基地として重要なる拠点となったと記せれてました。

聞いていた内容と一致する内容です。

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この記念碑の冒頭に大東亜戦争の風雲を思わせる●●年2月等々と記されている
年号が黒く塗りつぶされています。何故かなぁ?

おじさんが見つけた閲覧可能な公文書の中に
「小倉陸軍兵器補給廠小富士燃料貯蔵施設工事の件」と言う書類があり、この書類の決済日は
昭和16年3月18日になってました。

施設配置図とか残っていれば、もう少し突っ込んだ探索が出来たのに残念です。

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後、口コミの情報では、門柱跡の近くに燃料貯蔵の安全策の為に防水槽が残っていると聞いてましたが、
近くをいくら探しても見つかりません。

もう、無くなってしまったのかなぁ?と諦めて帰る途中に発見。

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何処が近くなんだぁ!!ΣΣ┗(|||`□´|||)┛ンガァァー!!
なんと524メートルも離れた場所にありました。

因に、ここに行きたいと思われる変わり者の方(ゴメン)
グーグルマップのストリートビューで門柱跡も防火水槽も見る事が出来ます。
しっかり位置情報を持って出向かれる事を推薦します。
本当に迷いますから。(´-ノo-`)ボソッ...

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燃料貯蔵が主な役目の施設だからでしょうね。
こんな防火水槽が残っているのは・・・

しかし、これが大戦中の戦争遺跡とは知らなければ、普通の防火水槽としか思えないですよね。
いや、農業用の溜め池って思うのが普通かな?

因に、見た目よりめちゃくちゃ深いです。
落ちないように気を付けて見て下さいね。(笑)


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道を挟んだ反対側の田んぼの中に「ニョキ」って何か生えてます。(笑)

(´+_+`)ウゥ…これも多分当時の施設の一部かな?? あまりにも不自然な所にありますもんね。
確信はありませんが、おじさんの勘がそう訴えかけて来ます。

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処でこの
小倉陸軍兵器補給廠 小富士常駐班ってどれくらいの敷地面積だったんだぁ?って疑問が。

調べて見ました。なんと18万坪の敷地面積との事。

と言う事はこの寺山地区全域が入る面積です。
(赤い枠が略18万坪)

当時、大形貨物船で運搬されて来た戦車用モービルやトラックで搬入されたガソリン等の燃料の貯蔵。
又、大砲や機関銃などの兵器の集積所ですから、これ位の敷地は当然と言えば当然かも?

地図の向かって左側には今はマリーナ施設になってますが、ここが海運の拠点だったのかな?
地図の右側が陸運の入口になっていたのかもしれません。


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如何でしたか? 小倉陸軍兵器補給廠 小富士常駐班跡。

今回の時空紀行はおじさん自身にも郷土史を知る良い機会になったと思っています。

これほどの施設が地元糸島にあった事に驚きを隠せません。
いや、本当に今まで誰からも聞いた事が無い内容だったもので・・・

本当に「ヘェーボタン」を10個位押したい気分になりました。(笑)

まだ、この糸島地区にはおじさんの知らない事が沢山眠っている感じがします。
何より近代化遺産を通じて、今まで見えなかった事が見える様になった事が一番嬉しいかな?
今後も機会があったら、積極的に郷土史に関わって行きたいと思っています。


それでは又、別の紀行でお会いしましょう。

博多のおじさん&まめ


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