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福岡県糸島市、見ての通り玄界灘に突き出した半島で形成されている地域です。
蒼い海は何処までも続き、平和を絵に書いたような港町の風景。
海産物は特に牡蠣小屋がとても有名で、
近年は福岡市内からのアクセスも良い事から、観光地として目ざましい発展を遂げている地域です。

しかし、当地域には、その立地条件から大平洋戦争時における軍事的な役割の一端を担ってきた
知られざる別の顔も持っています。
その過去は忌わしい歴史として扱われ、
時の流れと共に意図的に人々は過ちの過去として忘れる事に勤めてきました。

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それは決して過った判断では無かったとは思います。
ですから、この地に戦争遺跡が存在する事は、ほとんどの方が知りません。
それは、今を生きる私達には必要な事だったのかも知れません。

しかし現実には、この地域には大戦末期に水上機の日本最大の秘匿海軍航空基地が存在してました。
しかも日本全国で命を掛けた特攻攻撃が尊き事と錯覚していた大戦末期、
略、唯一と言ってよい夜間通常攻撃を終戦まで、この基地は続けていたのです。

敗戦の風雲が濃い大戦末期、写真の鳶の様にひたすら自国の勝利を信じて、
死は尊き事と言う当時の時勢に真っ向から刃向かい、時には憶病者の烙印を押されても
外洋を飛び続けた、その航空隊のお話を
今回は時間の経過と共に、風化してしまった過去から掘り起こしてあげたいと思っています。


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今回の時空紀行は地元福岡県の戦争遺跡のお話になります。

今までも何度か戦争遺跡のお話は書いてきましたが、
今回は地元と言う事もあり、小説永遠の0ではありませんが、数少ない資料をかき集め
おじさんの先祖がこの地に携わっていたかも知れないと言う思いで、
今まで以上に真剣に向き合って調べて見ましたよ。
中々、一般受けする内容ではありませんが、お付合い頂けたらうれしいなと思っています。

さてさて、前置きが長くなりましたが、写真に写っている場所は、福岡県糸島市船越地区です。
基地本部があったと言われるこの場所に今回題材に取り上げた玄海航空基地の
記念碑が建てられています。

あっ、忘れてましたが、ご覧の通り、まめもちゃんと一緒に来てますよ。

さて最初に、この基地の概要を簡単に説明しておきますね、
昭和20年、敵の沖縄進行に備えた後方基地として、この地に本部を置く、玄海航空基地が設置されました。

第634海軍航空隊が主体となる、この本隊は水上機100機を要する、
水上機最大の秘匿基地として造られた訳です。

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記念碑全貌の写真です。

因に後ろに写っている建物は納骨堂で、この記念碑とは無関係の様でした。

しかし、後で調べた当時の地図にも、この納骨堂は記載されており、
当時からこの場所に存在した事は間違い無いようで、建て替えられてはいるものの、
当時の様子を見続けた証人となるとは、この時は知りませんでした。


しかし、この地より、沖縄周辺の敵艦隊に夜間攻撃を敢行したと言うのですが、
正直、にわかには信じられない事です。
当時の若者達はどんな思いでこの地で戦いを挑んだのでしょうか?
それでは、皆さんと一緒にその謎を解きあかしていきましょうかね。

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w( ̄□ ̄)w Oh My God!!
おじさん、おじさん。なんでこんな所に錨があるの???
航空隊の記念碑の横に確かに場違いな感じの碇が・・・

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この錨、何の為に使われた物かわかりますか?
普通、航空機に錨なんて使いませんよね。

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その答えがこちらです。(=´▽`=)ノ
この航空隊で使われた機体は、こんな感じのフロート付の航空機だったんです。
水面に着水出来るタイプの飛行機って事です。

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上記の水上機を浅瀬に繋留する為に使われた錨なんです。


なるほど、ほるほど。( ̄o ̄*(_ _* ) ウンウン
だから錨が展示してあったんだ。


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現地に展示してある、おおまかな物は以上です。
なるほど水上機を使って攻撃した訳ですね。

(´+_+`)ウゥ…わかった様な、わからかった様な・・・
何処を調べても、大体こんな感じの内容しか出てきません。
(´+_+`)ウゥ…これでは、正直、ああ、ここにそんな基地があったのね。程度の感想しかもてません。
と言う事で、おじさんが得意な終戦後に公開されている米国の接収品目録の公文書から、
この基地の全容を探って見たいと思います。

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まず、分かった事は、玄海航空基地は3基地で形成されていた事がわかりました。
記念碑がある所が1の船越基地になります。

各基地の名称は
1.船越基地
2.岐志基地
3.松末基地


なるほど、なるほど、当時最大級の秘匿水上機航空基地と呼ばれている事に納得が出来ました。

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航空隊と言ったら飛行場が必要だと普通は考えますが、
使っている航空機が水上機と言う事で、この静かな湾を使って離着陸をしてた訳なんですよ。
赤い印の所が基地本部があった船越基地。
その前の湾をメインの飛行場換わりに使っていた訳なんです。

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現在の船越湾。
当日は曇天で波も高い日でしたが、湾内は見ての通りとても静かです。
これだったら、確かに水上機の離着陸に使っても問題無い事がよくわかります。

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写真はイメージですが、こんな感じて使用してたのではないかと推測出来ます。
どうですか? 皆さんも少しこの基地の概要が想像出来る様になりましたか?

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が、しかし・・水上機って普通、偵察用の航空機と思ってたんですが・・・
いったいどんな水上機を使って、どんな攻撃方法をとってたんだぁ?
謎は深まるばかりです。

次回、その謎を接収品目録から検証してみたいと思います。
果たして玄海航空隊基地の謎にたどり着けるのか???


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