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前回、玄海航空隊の概要をお伝えしましたが、
今回は、この航空隊で使われていた航空機にスポットを当てて検証を続けて見たいと思います。


この航空隊で使われていた航空機は2機種(瑞雲と零水)と伝えられています。
まずは終戦後、この基地から接収された米国の兵器リストを探す事から始めて見ました。
この航空機が伝えられている通りに、この基地に存在しない事には、今までお話した事の真意が測れないからです。

まめと二人でひたすら、資料探しが続きます・・・

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まめと二人で取り付かれた様に、膨大な量の公文書をひたすら読み続けます。
当時の資料が断片的に頭に入ってきて、やがておじさんとまめの魂だけが当時の基地の中を彷徨う様な感覚に・・・
この地に間違い無く、この玄海航空隊が存在した事が確信に変わって行きます。
実を言うとこんな感じで調べている時が一番楽しいんですけどね。(笑)

そして、ついにこの基地の航空機の接収品資料を発見しました。
資料には瑞雲11型、及び零水11型の文字が

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記念碑に記載されている

「水上偵察/爆撃機 瑞雲11型 E16A」
「零式水上偵察機11型 E13A1」

この2機種が確かに接収されていました。

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資料には接収された場所、及び機数も明記されており、

瑞雲2機、零式水上偵察機12機
が終戦時に接収されていました。

その他に、エンジン(金星54型17機、金星43型7機、寿42型2機)
プロペラ(瑞雲用12、冷水2)、水上固定用錨30本
修理用のフロート瑞雲4、燃料タンク瑞雲7冷水5、潤滑油タンク冷水3、主翼冷水2
の予備等の在庫もあった見たいです。

終戦時にこれだけの物資が残っていた事を考えると、
この基地が最後まで実動していた事がこの資料で想像する事が出来ます。


又、備考欄には、昭和20年9月17日に当該地に暴風雨(多分台風の事ではないかと推測)があり、
瑞雲1機の風防ガラスが破損。
同じく冷水6機も風防ガラス(中間座部分)を破損。
と細かく記録が残ってました。


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さてさて、航空機が実際に配備されていた事は資料で確認出来ました。
しかし、この基地の特色である夜間通常攻撃はどの様にして実行されていたのでしょうか?

なにより、この航空隊の主力とされた瑞雲と言う水上機はどんな方法で通常攻撃をおこなったのでしょうか?


ウィキペディア先生にこの航空機の事を尋ねてみると・・・
634航空隊はフィリピン、沖縄方面で偵察、夜襲、襲撃任務等に従事し、
大戦末期の劣勢の中、特攻によらない通常攻撃で一定の戦果を挙げた数少ない事例になった。

いやいや、それは知ってるから・・・
どうやって攻撃したの???

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この瑞雲の一番の特徴は、水上機なのに急降下爆撃が出来るダイブブレーキが搭載されている事と
なんと、戦闘機の様に空戦フラップも装備されており、世界初の装備を持つ水上機だったらしいです。

急降下爆撃時の爆装は
60s爆弾×2 または250s爆弾×1


と言う事は、この爆弾が接収品にあれば、この基地から爆装して、夜間通常攻撃した事が立証出来ます。

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この基地の爆弾の接収品を発見しました。果たして、夜間通常攻撃使われた爆弾はあるのか?

Σ( ̄□ ̄ノ)ノゲ!! あった。
99式250s通常爆弾1型改1が158個
98式250s陸用爆弾1型改1が40個
99式60s通常爆弾が60個
97式60s陸用爆弾が52個

しかも半端じゃない量が残ってました。

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極め付けに、爆弾を装備する装置も接収品に・・・
間違いなくこの基地から出撃した様です。

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上記の瑞雲の爆装写真の実写は見つからなかったので、プラモデルの写真を使って説明しようと物色していると
こんな写真も発見しました。

ロケット爆弾と言われる物で、ロケットモーターを内臓した爆弾で、
これらは爆撃機編隊に対する空対空兵器、又は艦艇に対する徹甲兵器です。

写真の3式1番28号は航空機の主翼に装備出来る様に試作設計されたロケット爆弾で、
最大速度400m/s、射程500mでの半数必中界は9mだとか。
実際に昭和20年6月に、この基地と別の901戦闘飛行隊が対地・対艦用に使い、
命中精度は良好だったと言う記録が残ってます。

確かに瑞雲の資料には装備可能と記されてますが、いくらなんでも、
こんなゲームの世界にしか出て来ないような装備が、

この玄海航空隊にあるとは思えませんが・・・

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( ̄∇ ̄;) マジかぁぁぁ!!
接収品の目録に載ってました。33発接収されています。
発火装置も信管も総べて揃ってます。

当時はもう本当に新兵器と呼んでよい装備だと思います。こんな物まで配備されていたとは・・・
おまけに、資料に明記してある3式1番9号爆弾と言うのは、大戦時の爆弾資料には掲載されてませんでした。
もしかして、28号の改良版?29号と言わず、あえて9号にしたのか???

いったい、この基地は、なんだっただぁ???

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瑞雲は特殊な水上機と言う事もあり、総生産数は220機。
ロケット爆弾は総計5.000発が製造されていました。
終戦時に2機の瑞雲及びロケット爆弾が33発接収された事を考えると、
この玄海航空隊にかなりの数の瑞雲が配備されていたと思ったおじさんでした。


調べてみて初めて分かった事実。
正に、本土決戦を見据えた基地だったのかも知れませんね。


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さて、それではこの航空隊に配備されていた、もう一つの航空機、
零式水上偵察機も同じように検証して見ましょう。
偵察機であるこの機体が何故、玄海航空隊に配属されたかは、
この基地の記念碑に明記してありました。その内容は・・・

「海軍航空史上初の零式水上偵察雷撃隊を編成」

( ̄∇ ̄;) えっ!?
雷撃って魚雷を積んだって事ですか?

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ウィキペディア先生に、この航空機の事も尋ねてみると・・・

魚雷搭載可能な攻撃機型など多くのバリエーションが存在する。
ウィキペディア先生言い切りました。本当かよ???

いやいや待て待て、記念碑に
海軍航空史上初の雷撃隊編成って書いてあったぞ。
この地に、攻撃型零式水上雷撃機を集めたって事なのか?


しかし、ロケット爆弾まで装備してた基地だ。

これ位の事はやりそうな気がします。

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零式水上偵察機が魚雷装備可能に改造されている攻撃型かどうかは、接収品の資料ではわかりませんでした。

只、航空機が2機種しか存在しない、この玄海航空隊に上記の魚雷と運搬車が存在すれば、
必然的に零式水上偵察機に魚雷を搭載した事になります。

写真の魚雷が航空機に実装されるタイプの91式魚雷です。

こんな物まで配備されていたのか・・・

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やはり有った、91式魚雷。Σ( ̄□ ̄ノ)ノゲ!!
もうすでに、こんな事で驚かなくなりました。ある意味有って当たり前と思えて来ました。
91式魚雷改3、30発。

雷撃機に搭載する為の運搬車も各種装備されています。
この基地は本気で通常攻撃で戦う装備を集めていた様です。

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九州の小さな港町に存在した水上機攻撃隊。
忌わしい過去として扱われ、歴史の闇の中に呑み込まれてしまったこの玄海航空隊基地。
しかし、調べて見ると本気で沖縄方面への防空の為に日々戦っていた様子が資料から読み取れます。

いやいや、この航空隊で映画の1本位は撮れそうな程、奥深さを感じさせてくれる基地です。

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記念碑を元に調べあげた玄海航空基地のお話如何でしたか?
しかし、まだ続きがあります。
この基地が何故、秘匿基地と呼ばれたのか・・・
次回はその謎に迫ります。
まめの後ろに写るレールは何なのか?

こう御期待。


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